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ちょっと「芸術論」的なことを


今回は「芸術論」をかましたいと思います(なんて、そんな大した事言わないですけど)

注目したのは「アートアワードトーキョー丸の内」というアート展

これは若手アーティスト発掘・育成をテーマにした展覧会で美術系大学の卒業、修了制作展の中から
選ばれた30作品が競うもの

今回選ばれたのは芸大の片山真理さんという方なんですが彼女は生まれつき足が不自由で
9歳の時、両足を切断しています

彼女の今回の作品は彼女自身が登場し”義足”をテーマにしています

こういう場合、作品を見る方ほとんどは「辛く大変な人生を送ってきた障害者の方の作品」という目で
見ると思います

私はこう思います、作品こそ全てで作者がどういう方というのは作品の前では関係無いと

よく、”障害者”のという括りのアート展などがありますが私はそういう括りは好きではありません
作品の前では障害者も、大人も子供も、若手や古株も何も関係ないと思っています

ちょっと話はそれますがこのアート展のテーマ、「若手アーティストの・・・」という括りも嫌です

私は全てのアート展は何の制約も入れるべきではないと思っています
「ジャンルわけ」なんてくだらない

さて彼女も作品は純粋に見て欲しい、”障害者”や”福祉”という枠で見られることに
違和感を覚えたとありますが実は障害者という自分を最も意識しているのは紛れも無い
彼女自身なのではないかと思ってしまいます

「ムーランルージュ」で有名なロートレックは先天性の障害があって身長が伸びず大人になっても
子供ぐらいの大きさしかありませんでした それでよくかわかられたりしたそうですが
ロートレックが描いたのはなんでもない日常の風景のものが多い、
それはロートレックが好きな世界で単純にそれを作品にしたいと思い、そういう世界を描くのが
何よりも好きだったからじゃないでしょうか

芸術なんてそんなもんで良いんじゃないですか?

「芸術論」みたいなひとつの作品を取り上げ難しい解釈、意味合いをつけることがありますが
私はどんな作品にもそんな大した意味は無いと思っています

よく「モナリザ」のミステリーみたいな事でモナリザには謎が隠されているような事を言う人もいますけど、
モナリザを微笑ましたのもそのほうが「絵が映えるなぁ」とか背景がちょっと不自然でも
「普通に後ろの壁を描くよりも風景のほうが良くね?」とかそんなもんですよ

芸術家は何にもとらわれず自分が本当に作りたいものを制作している時が1番幸せなんです
仕事として制作するのならそうは行きませんがそうでなければ自分が幸せになれるものを作るべきなんです

彼女はこの作品を制作している時”幸せ”なのでしょうか?

彼女が本当に作りたいもの描きたいものはこういうものなのでしょうか?
それを確かめてみたい気がします

もうひとつ、もし私がこういうテーマの作品を作ったら”障害者を利用している”とか言われるんでしょうか?

この展覧会は5月27日まで丸の内行幸通り地下ウインドー状ギャラリーで開催
 

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